これまで農学博士の森下正博先生(元大阪府立食とみどりの総合技術センター 主任研究員)のご考察から、日本人に愛されてきた唐辛子の歴史や、堺周辺ではかつて盛んに鷹の爪が栽培されていたことなどを紹介してきた。
今回は、信州大学農学部教授・松島憲一先生のご研究から、唐辛子という作物が日本でどのような品種に分化し定着していったのかをご紹介するとともに、遺伝子の解析などからわかる本来の鷹の爪についてお話を伺った。

 私が研究活動を行っている信州大学農学部の植物遺伝育種学研究室(旧作物育種学研究室)は、学生として所属していた時から植物遺伝資源の研究で知られた存在で、学生当時は主に、信州の地場農作物であるソバの品種改良に役立てるため、ネパールなどの山岳地域で植物遺伝資源の調査・研究を行っていた。
 その時にソバとともに採集してきたトウガラシの種子の評価を指示されたのが、私のトウガラシとの出会いである。実際に研究してみたら、ピーマンも鷹の爪も同じトウガラシの仲間というバラエティに富んだ作物で、しかも食文化の面から見ても、韓国料理でもタイ料理でもなくてはならない作物であることが大変面白く、そのまま大学院までトウガラシの研究を続けた。ネパールの首都カトマンズのアサンチョーク市場で、トウガラシ遺伝資源調査を行う松島憲一先生(図参照)。
             さて、トウガラシがいつどのようにして日本に伝来したかについては、①1542年にポルトガル人によってもたらされ、豊後国の国主・大友宗麟に献上された、②豊臣秀吉の朝鮮出兵の時(1592〜98年)に秀吉軍が朝鮮半島から持ち帰った、③慶長年間(1596〜1615年)もしくは1605年にタバコと一緒に、ポルトガル人によって伝えられた、などと諸説があり、②については逆に、トウガラシは日本から持ち込まれたという記録が朝鮮半島に残っている。私自身は交易が盛んだったポルトガルから南蛮船で、他のものと一緒に持ち込まれたと考えるのが自然だと思っているが、今日、日本に多くの在来品種があることを考えると、伝来ルートは一つとは限らず、さまざまな経路で伝わっては定着に失敗し、を繰り返したと推測される。
 1735年から1738年にかけて幕府の命で編纂された『享保・元文諸国産物帳』によれば、この頃にはほぼ全国でトウガラシは栽培されており、名前が同じものを一品種として整理すると、概ね80の品種名が記載されている。これほど品種が増えたのは、他と比べて栽培しやすく、また交配しやすい作物であったことからどんどん違う品種と混じって新しい品種を生んでいったことが考えられる。実際、北は北海道から南は沖縄まで在来品種がある作物は珍しい。それだけ順応性の高いからこそ、世界中に伝わった作物だともいえる。
 しかし、これまで日本の在来品種の分類や類縁関係を調査研究した例は少なく、私たちの研究グループでは、「堺鷹の爪」を含む総計109品種の日本産トウガラシについて、RAPD法を用いた遺伝子解析で系統樹(生物同士の類縁関係とそれらの系統発生を表すもの)を作成した(系統樹はこちら)。その中でクラスターⅢと位置付けたのは「上向き着果で果皮の薄い香辛料用の品種」だが、その中でも「八つ房」や「三鷹」など房なりに着果するYa(八房の略)グループと、節なりに着果する「堺鷹の爪」などのTa(鷹の爪の略)グループに分類している。この研究で供試した品種で、“鷹の爪”または“鷹”とつく名前の品種は9品種あったが(「鷹峯とうがらし」は地名から由来するものなので除く)、「香川本鷹」以外は全て、クラスターⅢに分類された。その中で節なりに着果するTaグループは「堺鷹の爪」と「本鷹」「本鷹の爪」の3品種のみ。房なりに着果するYaグループが断然多いのは収穫しやすいからであり、収穫に手間取るTaグループはやがて作られなくなったと考えられる。
 現在、大手種苗メーカーが販売している「鷹の爪とうがらし」を栽培すると、5〜6cm程度の細長い果実が上向きで房なりに着果するが、この姿は、平賀源内が『蕃椒譜』の中で「形甚小さくして愛すべき風情」と表現している本来の「鷹の爪」とずいぶん違っている。市販種子の「鷹の爪」は、昭和になってから流通したものであり、高い生産効率が求められた高度経済成長期にあって、おそらく収穫しやすい「八つ房」や「三鷹」に寄せられたものと考える。実際、私たちの研究グループが行ったDNAの比較試験でも同様の結果が得られている。
 1954年に九州農業試験場園芸部(当時)の熊沢三郎氏らが記した論文に「鷹の爪は上向きに着果するが、房なり性ではなく節なり性であるとし、果実は2.7cmほどで辛味が強い」とある。節なりに着果する鷹の爪系品種のうち、「本鷹の爪」の果実長は5.4cm、「本鷹」が7.6cmと大きく、小さい果実が上向きに節なり着果する「堺鷹の爪」が本来の鷹の爪だと言える。
(引き続き、次回も松島先生のお話をご紹介します)唐辛子に関する基礎知識から、日本をはじめ世界での楽しまれ方などが紹介された松島憲一先生のご著書です。「鷹の爪」についてもご紹介いただいています。
【参考資料・引用文献】
◎松島憲一(2020)『とうがらしの世界』(講談社選書メチエ)
◎松島憲一、伊藤卓也、北村和也、根本和洋。南峰夫(2022)
 「RAPD分析を用いた日本のトウガラシ 在来品種の類縁関係の解析」
 (本論文はこちらから全文をご覧いただけます)

◎平賀源内(1728〜1780)『蕃椒譜』(平賀源内全集下巻より、名著刊行会)国立国会図書館蔵
◎丹羽正伯編(1735〜1738)『享保・元文諸国産物帳』
◎熊沢三郎、小原赳、二井内清之(1954)
 「本邦に於けるとうがらしの品種分化」園芸学会雑誌23(3)16-22 RAPD分析を用いた日本のトウガラシ(Capsicum annuum)在来品種の類縁関係の解析
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