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お客との関係は
プライスレス
京都府宮津市の上世屋の棚田で手植えが行なわれた。撮影/中井由紀
2024年5月18日・19日、
丹後の棚田で田植えが行なわれた。
総勢90人。
といっても、
あつまったのは農家ではない。
飯尾醸造の蔵人20数名のほか、
富士酢の愛用者70名が参加した。
東京から来た家族もいれば、
稲刈りも含め30回参加している猛者もいる。
昼食と夕食こそ飯尾醸造が用意するが、
無償のボランティアだ。
交通費も宿泊代もすべて自腹。
棚田は農機を使えない。膝下まで田んぼにつかり、
手も足も泥だらけ。
そんな面倒な棚田での手植えに、
なぜ大勢のボランティアがあつまるのか。
「嬉々として参加したくなる仕組みをつくるまでが大変でした」
飯尾醸造五代目・飯尾彰浩は、
いったいどんな
〈マジック〉
を使ったのか。
秘策を語ってもらう前に、
飯尾醸造の米づくりの歴史をひもとこう。
昭和39(1964)年に米の無農薬栽培に着手
創業は明治26
(1893)
年。
代々地元の農家に、
原材料の米を棚田で栽培してもらってきた。
その米を昭和39
(1964)
年、
三代目・飯尾輝之助が、
無農薬栽培にきりかえた。
世は東京オリンピック一色。
高度経済成長期のまっただなか。
無農薬栽培などという概念がしられるはるか以前の話だ。
「飯尾輝之助が農家の奥さんに鮮魚をくばり、
無農薬で米をつくってもらえない
か、
と頭をさげつづけたそうです」
棚田のはるか後方には若狭湾が広がっている。撮影/中井由紀
その甲斐があって以後60年間、飯尾醸造の契約農家の棚田では、一度
も農薬を使わずに米を育ててきた。
ところが、米農家が高齢化。引退を宣言した。
このまま棚田を放棄したら元の原野になってしまう。
「そのことを杞憂した四代目で私の父・飯尾毅が、
30数枚の田んぼをかりて
米づくりをはじめました」
子どもも大勢参加した。白い帽子は小学3年生の女の子。撮影/當間一弘
棚田のある風景を残すための米づくり
昨今、
酒米を栽培する酒蔵がふえている。
その背景には、米づくりから一貫した酒づくりに取り組もうという酒蔵の思い
がある。
けれど、
飯尾醸造の米づくりは、
よそとはいささか動機が異なる。
「先達がつくった、
棚田のある丹後の風景を守りたい」
という思いで、
2003年
から米づくりがはじまった。
四代目・飯尾毅は、蔵人のなかから米づくり担当を任命した。
が、
しかし、
「明日から田んぼへ行け」
と命じられた蔵人はどう思ったか。
ある意味、
左遷されたような感情をいだいたかもしれない。
言いだしっぺの五代目(写真中央)
も農作業にいそしんでいる。撮影/中井由紀
その頃、東京でサラリーマンをしていた飯尾彰浩が丹後に帰ってきた。
ある日、飯尾彰浩は蔵人たちと田んぼへ向かった。
そのとき何を思ったか、サッカーボールを持参した。
「東京から帰ってきたばかりの私には、田んぼは〈非日常〉でした。田んぼ
へ行くのが愉しみだったのかもしれません」
一方、蔵人たちにとって田んぼは、
〈 日常〉だった。
「無農薬栽培と、農機を使えない棚田での作業に辟易していました」
〈非日常〉がながつづきする工夫を五代目が考えた。
撮影/中井由紀
チーム飯尾醸造の仲間になってもらう
どうすれば農作業を少しでも軽減できるのか。
五代目は、
カンフル剤を思いついた。
「お客様にとって非日常の、
田植えや稲刈りを手伝ってもらうことにしました」
が、ただ単に〈労働力〉
として扱われたのでは、
非日常もながつづきしない。
「次回も参加したくなるようなおもてなしをすることにしました」
ペンション自給自足の特製弁当を全員でほおばった。撮影/中井由紀
そのひとつが、食事だ。
地元宮津の「ペンション自給自足」に、特製弁当を用意してもらうことに
した。
「丹後の食材をふんだんに使ったお弁当を、お昼に食べてもらいます」
初日の夜は、飯尾醸造が経営するレストラン「アチェート」でパーティー
を開く。
( 会費の一部は自己負担)
アチェートについてはどこかで、詳しく紹介させていただく。
筍や山菜など、
丹後でとれた旬の食材が盛りだくさん。
撮影/當間一弘
ある意味接待なのだから、ボランティアだけに食べてもらうのが筋。
だが、全員でいっしょに食事をかこむことにした。
同じ釜の飯を食うことで連帯感を高めつつ、
コミュニケーションをはかる。
「ボランティアもふくめ、チームで米づくりをすることにしました」
蔵人のバッジ。
「四代目はレアキャラなので色が異なります」
(五代目)
仲間意識を高めるためのバッジも用意
飯尾醸造の蔵人は、誰もがイラスト入りのバッジをもっている。
数年前、私ははじめて五代目に会った際、イラストが描かれたバッジを
もらった。
なぜバッジなのか、今回その理由を知ることができた。
「紙の名刺だと子どもは欲しがりませんよね。でも、バッジだと子どもも
大人も欲しくて蔵人に声をかけてくれます」
バッジは、ある意味ポケモンカードなのだ。
この子にとってバッジは宝物であり、
戦利品なのかも。
撮影/飯尾彰浩
蔵人全員のバッジをあつめたくなる人も出てくるにちがいない。
五代目の目論見は見事的中した。
あつめたバッジを、帽子やTシャツにつけて農作業をする人が多いとい
うのだ。
「まだもらっていない新人スタッフがいれば、おねだりします」
バッジはコミュニケーション・ツールであると同時に、仲間意識を高める
ツールでもある。
参加賞のTシャツ。子どもは3回参加するともらえる。
當間家の子ども2人がゲットしたもの。撮影/當間一弘
田植えもTシャツもプライスレス
農作業に4回来てくれた人には、Tシャツを贈呈する。
「富士酢」と描かれた、非売品のTシャツだ。
それを着て農作業をしたいがゆえに、
何度も参加する人が多いというのだ。
「買えないものだから価値があるのかもしれません」
富士酢Tシャツも、宮津に来ないと入手できないバッジもプライスレス。
當間家の子どもが田んぼ脇の小川でつかまえた宝物。
農薬不使用の田んぼは生き物の天国。撮影/當間一弘
お客とのプライスレスな関係を、五代目は時間をかけてきずいてきた。
そこには、企業の透明性も深く、大きく関わっている。
丹後の美しい棚田を、お客に満喫してもらう。
富士酢をつくっている蔵人と接してもらう。
大勢の人にお酢蔵を見学してもらう。
お客との関係が、なぜ必要なのか。
丹後の米だけで酢をつくる限り、生産量を増やすことはできない。
事業の拡大をのぞめない以上、お客とより深い関係を構築するしかない
からだ。
「日本で一番お客様に近いお酢屋であり、一生使ってもらえるお酢屋を
目ざしています」
2024年5月の田植えで汗をながしたチーム飯尾醸造。
撮影/中井由紀
次回は丹後の棚田米と、その米で醸した酢を愛用する料理人に登場い
ただく。                        (敬称略)
(撮影/合田慎二、取材・文/中島茂信)
【飯尾醸造】
京都府宮津市小田宿野373
0772-25-0015
営業/9:00∼12:00、13:00∼17:00
定休日/土日祝日、特別な休業あり
お酢蔵を見学できます(要予約)
詳細はHPをご覧ください
https://www.iio-jozo.co.jp/
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京都府宮津市小田宿野373
0772-25-0015
営業/9:00〜12:00、13:00〜17:00
定休日/土日祝日、特別な休業あり
お酢蔵を見学できます(要予約)
詳細はHPをご覧ください
https://www.iio-jozo.co.jp/
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