『剣心去来』
童話『ないたあかおに』(浜田広介著)の一節です。
子供の頃にないたあかおにを読むたびに涙が出ました。
やまつ辻田にわざわざお運びいただくお客様へのおもてなしが出来ればとguestroom『道』を作りました。やまつ辻田の前の道は1200年前に弘法大師様に開かれた高野山へと通じる西高野街道。そこから『道』といただきました。日本文藝家協会より許可を頂き赤鬼さんのように『こころのやさしい…』のくだりを戸口の前の立て札にしようと古い絵本を読み返していると、そこに1970年に書かれた作者の『ないたあかおに』への思いを見つけました。
金剛峰寺の宝物土用干しという、幸せな機会にであって国宝、重要文化財など、あれこれ拝観するうちに、ある木彫りがわたくしの心をしっかりととらえました。像の高さ、およそ3尺(1m)ひきしまりのある容姿には力が溢れ、まだ年若く、かしこそうな顔つき、いかにもそれは童子像表現の条件を見事に生かし切っている童子の像でありました。あとの調べで、その立像は国宝、鎌倉時代の運慶の作といわれ八大童子の中のひとり、恵喜(えき)童子―知恵をめぐらし、その知恵を人に与えて喜びとする童子とわかって、わたくしは一層心をひかれました。このような童子をかりて、創作の童話の中に新しく日本の鬼を生かして書いてみたいと、ひそかに思い立ちました。(1970年記)
お大師様が、運慶が大切にされた「やさしい思い」が赤鬼青鬼にこめられて、その思いがずうっとぼくの心を捉えて揺さぶり続けたんだなと考えると又、涙がこぼれました。
絵本に出てくる風景は高野の山々がやさしく描かれている様に感じました。
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