べに山桜の旅

平成二十四年やまつ辻田二十選べに山桜の旅二十九
十三年間の夢 続編


  【平成二十四年十月七日】
 
 佳保里(大学三年)をつれて、始発の新幹線で小倉まで。懐かしい北九州市立総合体育館にとびこんだ。侑加(小六)の全日本が始まる九時半までに心と体を作らなければならない。練習会場に入った瞬間、十年前の記憶が鮮明に蘇った。  十年前、無名の東陶器春風館を強豪道場ひしめく九州の全国大会に初参加させた。前日の練習会が行われたこの場所に日本武道館準優勝の山下渉(香川光龍館)は居た。出てよし、返してよしの彼は変幻自在の剣を操っている。(後に彼は水戸葵陵の大将として全国優勝を成し遂げる)何を思ったか僕は、彼の光龍館に練習試合を申し込んだ。 結果は─ぼっこぼっこにやられた。が、天下の山下渉と真っ向勝負でわたりあう田舎侍の娘達に涙がこみあげ、はっきりとした手ごたえを感じたのを覚えている。

「無謀やったな。でもそれが秘密かもな。」と僕。 「そやな。」と佳保里。

 侑加(小六)の試合結果は、ベスト8。ベスト4がけで放った真っ向勝負の「相打ち」に彼女の心を感じた。
   
【十月八日】

 明太子用、夢の国内産「石臼挽き甘口唐がらし」の品種、作柄を確かめる為に小倉を出発。
「これは僕らの魂やから。やっとかんといかんやろ。」って感覚が大切。
日本の唐辛子の継承に魂を注ぎ込んだ祖父たちは僕とIさん(唐辛子の戦友(笑))との会話を、喜んでいるに違いない。

 小倉に戻り「田舎庵」で天然うなぎの「うな重」に舌つづみ。社長のお人柄そのままの仕事に感動。新幹線にて大阪への帰路についた。

 この夏の日本武道館決勝戦のスポットライトの中で決勝前の生徒にかけた一言は「相手は自分」。剣道指導者として一生に一度あるなしの局面での言葉の選択は「自分の心」でした。どんな技を選択しても自由。その時どんな技を出すかはその人のそのもの。十年前の無謀な挑戦も、唐がらしにかける思いも、どんな未来をうれしく感じるかの自分の心(器)しだい。

 上を見上げるとスポットライトの中に武道館の日の丸。ゆったりと微笑んでいるように感じました。
   
   
 
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